一言で言うと「資本コスト経営=ROE目標経営」ではありません。最も重要なのは「自社の資本コスト(WACC・株主資本コスト)をマーケット水準で認識し、それを上回るリターンを事業別に設計すること」です。失敗しないためには、「ROEの高さ」ではなく「ROIC−WACC」「ROE−株主資本コスト」「キャッシュフロー」の3つをセットで見ることが肝心です。
正直なところ、東証改革が本格化してから、決算説明資料のフォルダに「ROE◯%目標」「PBR1倍超え」のスライドが増えた企業は多いはずです。
ある上場企業の経営企画担当者と、深夜の会議室でこんな会話をしました。
経企: 「ここ1年で、社長の口から"ROE""PBR"って言葉が急に増えてきて」
私: 「外向けの説明のため、という感じですか?」
経企: 「そうですね…。正直、社内では"また新しい指標が増えたな"くらいの温度感で」
よくあるのが、
というパターンです。
実は私自身も、最初に「資本コスト経営」という言葉に向き合ったとき、頭のどこかで「結局、ROEを上げろって話だよね」と短絡的に理解していました。 その理解が危ういと気づいたのは、後述する生命保険協会の調査データを見たときです。
KPMGのレポートでは、資本コスト経営の推進にあたって「企業が認識する資本コストと、マーケットの期待水準が大きく乖離している」という問題が指摘されています。生命保険協会の調査によれば、企業の42.9%が「自社のROEは株主資本コストを上回っている」と回答したのに対し、機関投資家の49.1%は「下回っている」と見ています。
つまり、企業側は「資本コストはクリアしている」と思っていても、投資家から見ると「まだ価値破壊企業だ」と見なされているケースが相当数あるわけです。
このギャップを前に、「最初は半信半疑だったんですけど」と話しながら、自社の資本コストとROIC・ROEをゼロベースで見直し始めたCFOの姿を、私は間近で見てきました。 「また流行り言葉で終わるんじゃないか」と思いつつも、資本コスト経営を真剣に捉え直したその企業は、結果的に投資家との対話の質を明らかに変えていきました。
経済産業省や東京証券取引所は、「資本コストや株価を意識した経営」を求める趣旨として、「単に損益計算書上の売上や利益ではなく、バランスシートをベースとした資本コストや資本収益性を意識してほしい」と明言しています。
資本コスト経営の本質は、ROEやROICといった「成果指標」を掲げることではなく、
という、資本の配り方のストーリーを描くことにあります。
ある企業のIR担当者が、決算説明会の後でこう漏らしました。 「ROEの数字を暗記して話すのをやめて、"なぜこの投資をするのか、その資本コストはどう見ているのか"を説明し始めてから、投資家からの質問の質が明らかに変わりました」と。 翌朝の出社時、駅からオフィスへ歩く足取りが少し軽くなった、と笑っていたのをよく覚えています。
ROE(自己資本利益率)は株主にとって重要な指標ですが、「ROE目標を掲げる=資本コスト経営」ではありません。
文教大学の研究論文でも、ROEは企業価値の代理指標としてしばしば使われるものの、「レバレッジや自己株取得で数値を引き上げても、キャッシュフローが伴わなければ企業価値向上とは言えない」と指摘されています。企業が企業価値を創造するには、「投下した資本に関して資本コストを上回るキャッシュフローを生み出す必要がある」というのが、ファイナンスの基本です。
よくある失敗パターンは、
という流れです。
投資家サイドから見れば、「ROEが高い=価値創造」とは限らないことは明らかで、実際スパークス・アセット・マネジメントも、ROEと資本コストの差を重視する視点をレポートで示しています。ROEはあくまで表層で、「その裏にあるCFROE(キャッシュフロー版ROE)」や「ROIC−WACC」を見るべき、というのが資本コスト経営の前提です。
ここ数年、「ROIC経営」がキーワードとしてよく取り上げられています。
マネーフォワードの解説でも、「ROICがWACCを上回っている場合、企業は資本コスト以上のリターンを生んでおり、経済的付加価値を創出している」と整理されています。KPMGも、資本コスト経営と密接に関連する指標としてROICを位置付け、「多くの一般事業会社にとってはROICがROEよりも優れている」と述べています。
ただし、KPMG自身、「資本コスト経営=ROICありきではない」とも強調しており、ビジネスモデルや事業サイクルによってはROICが機能しないケースがあると指摘しています。衰退期の事業では、資本生産性よりも財務の健全性やキャッシュフロー確保の方が優先されることもあり、ROICだけで評価するのは適切ではありません。
ケースによりますが、
などでは、ROICだけをKPIとして追うと、必要なリスクテイクが萎縮するリスクもあります。
実際、私が関わったあるメーカーでは、「ROICが低いから」との理由で新規事業投資が慎重になりすぎ、結果として競合に先行されてしまったことがありました。後からCFOが「ROICの数字だけを見すぎていたかもしれない」と振り返り、事業ライフサイクルに応じて指標の重み付けを変えるようにしたのが印象的でした。
資本コストの計算そのものは、CAPMを用いれば技術的には難しくありません。しかし、問題は「その水準が市場参加者の期待と合っているか」です。
KPMGのレポートは、企業が算出する株主資本コストと、機関投資家の認識する水準感が大きく異なっていると指摘しています。前述の生命保険協会の調査では、「企業の42.9%が自社のROEは株主資本コストを上回っていると回答する一方、機関投資家の49.1%は下回っていると見ている」という結果が示されました。
東京証券取引所も、フォローアップ資料の中で、「まずは自社の資本コストや資本収益性を的確に把握し、その内容や市場評価について取締役会で議論し、開示してほしい」と求めています。
正直なところ、「資本コストはだいたい◯%くらい」と口頭で共有されているだけの会社は少なくありません。 しかし、それでは資本コスト経営とは言えず、「資本コストをハードルレートとして投資判断や減損テストに使っているのに、その前提となるレートが市場の期待とずれている」という危うい状態になりかねません。
経産省の資料は、「資本コストや株価を意識した経営」を推進するための第一歩として、「自社の資本コストや資本収益性を把握し、その水準や市場評価を取締役会で議論すること」を挙げています。
実務としては、まず次の3点を押さえることが重要です。
三菱UFJ信託銀行などの解説でも、資本コストは将来キャッシュフローを現在価値に割り引く際の割引率であり、その水準認識がズレていれば、いくらDCFやハードルレートを用いても市場の評価とはかみ合わないとされています。
私が支援したある上場企業では、CFOが「まずは自分たちのWACCに、証券会社のアナリストが暗黙に使っていると思われる水準を並べてみよう」と言い出したのをきっかけに、社内での資本コスト議論が一気に深まりました。 「正直、こんなに差があるとは思っていませんでした」と言いながら、CFOがホワイトボードの数字を見つめていた姿が印象に残っています。
資本コスト経営を実務に落とすには、「単一の指標に依存しない」ことが重要です。
KPMGやマネーフォワードの解説を踏まえると、次のような3点セットで事業を評価するアプローチが現実的です。
ここに、
という差分の視点を加えると、「数字が高いか低いか」ではなく、「資本コストをどれだけ上回れているか」を議論できるようになります。
ある企業では、事業ポートフォリオ会議で「ROE目標◯%」という表現をやめ、「この事業のROIC−WACCは◯ポイント、あちらはマイナス◯ポイント」と議論するスタイルに変えました。 最初は戸惑いもありましたが、半年もすると、「この投資でROICが何ポイント改善するのか」「WACCを下げるための資本構成の見直しは必要か」といった会話が、自然と経営会議で飛び交うようになりました。
東京証券取引所は、フォローアップの中で「資本コストや株価を意識した経営」を推進するために、上場企業に対して自社の資本コストや資本収益性を把握し、その内容や市場評価について積極的に対話することを求めています。
実務的には、決算説明資料や中期経営計画説明会で、次のようなメッセージを織り込むと、投資家の受け止め方が変わります。
JPXが公開している「資本コストの理論と実践」資料でも、ROIC−WACCやROE−株主資本コストが企業価値・株主価値の源泉であり、これを軸に企業と投資家が対話することの重要性が強調されています。
あるCFOは、中期経営計画説明会で初めて「当社はWACCを◯%と見ており、主要事業のROICは現状◯%、3年後に◯%を目指しています」と明言しました。 説明会後、複数の機関投資家から「資本コストの前提を開示してくれたことで、投資判断がしやすくなった」「ROEだけでなく、ROIC−WACCの視点を示してくれたのがよかった」というコメントが寄せられ、IR担当者は「資本コストの話は難しいと思っていたけれど、むしろ歓迎されるテーマなんだ」と手応えを感じていました。
全社レベルではROE、事業レベルではROICが適しているとされます。どちらにせよ、「資本コストとの差分」を見ることが重要です。
CAPMを用いた算定は必須ですが、完璧さよりも「前提を明示し、市場の期待と対話しながらアップデートする」ことの方が重要です。
原則は同じですが、インフラ・研究開発型・規制産業などでは投資回収期間やリスクの性質が異なるため、指標の使い方や重み付けを調整する必要があります。
一時的な投資フェーズや、自己資本を厚くしている段階などでは、ROEが低くても、将来のCFとROIC−WACCの観点から合理的なケースがあります。
いいえ。レバレッジや自己株取得によるROEの引き上げは、キャッシュフローを伴わなければ企業価値を高めません。ROE−株主資本コストやCFの視点が不可欠です。
要求水準が顕在化する側面はありますが、前提を共有して対話できる方が、中長期的な信頼関係構築にはプラスと見る投資家が多いです。
規模に関わらず、「資本配分のロジック」を説明できる企業は、機関投資家からの評価が高まりやすいと指摘されています。特にPBR1倍割れ企業にとっては重要なテーマです。